スラムに生きるということ(2021年7月)
ニューヨークのスラムは、私たち日本人から見ると、一見それとはわからない普通の町並みです。家には、テレビや電気製品があり、スマホも持っていてショックを受けます。
しかしスラムは、見えないところにあるのです。日本でも問題になっている育児放棄やネグレクト、虐待、アルコールやゲーム、薬物依存などが日常茶飯事の人々や、移民や学歴がなく英語の読み書きのできない人々が集まって住む場所など、広い地域一帯がスラムです。
アメリカでも日本同様、特にシングルマザーは、ある程度の保証があり、それがかえって状況を悪くしていることも多いのです。
スポンサーの方と子どもの家庭を訪問した時のことです。日本から本当にスポンサーが尋ねてきてくれて、子どもは大喜び。一緒に住むおばあちゃんも、喜んで感謝してくれました。
しかし若い母親は、手にしたスマホから目を離そうともせず、いかにも迷惑そうな様子で、子どもから「日本から来たんだって! 日本ってどこにあるか知ってる?」と尋ねられると、「知らない」と一言。自分の楽しみ以外、子どもにも支援者にも何の興味もない、この心こそがスラムを作り上げ、そこから出られなくしていることを痛感しました。