子供時代

ビル・ウィルソンは12歳の時に、母に街に連れていかれました。

母が待っていなさいと言ったので、ビル少年は同じ場所に三日間座って待っていましたが、とうとう母は戻ってきませんでした。

彼は母親に捨てられたのでした。

三日後に、息子に会いに病院へ向かっていたあるクリスチャンの男性が立ち止まって、ビル少年に「きみ、大丈夫か?」と尋ねてくれました。

それまでは、誰も立ち止まってくれませんでしたが、立ち止まってくれたのがクリスチャンの男性だったのは、大きな恵みでした。

その男性は、ビルに食べものを与え、日曜学校のキャンプに参加する費用を払ってくれました。

ビルは、今まで聖書のメッセージを聞いたことがありませんでしたが、そのキャンプで生まれて初めてイエス・キリストの話しを聞きました。

しかし、ビルは非常に汚い恰好で、匂いもしていたので、祭壇の前に出た彼に手を置いて祈ってくれる人は誰もいませんでした。

それで仕方なく、彼は一人で自分だけの祈りをしてみました。「僕のお母さんは、僕が嫌いです。クリスチャンの人たちも、僕を嫌います。しかし、もし、あなたが私を望まれるなら、私はここにおります。」

それは、ビル自身のイエス様との個人的な関係の始まりであり、イエス様との驚くべき歩みの始まりでした。

 

傷ついた子どもたちを助ける使命

ビル牧師自身の人生は、キリストの福音のあかしです。

彼と同じようなひどい状態で育った子どもたち、例えば、暴力、アルコール中毒、虐待、無視、放棄、貧困など、危険にさらされている環境で生まれ育った子どもたちに対して、何かしてあげることはないかと考えていると、ビルは子どもたちを助ける特別な計画を実行してみようという思いが与えられました。

ビル牧師は、自分自身の経験から、絶望や心の痛みはただキリストの愛によってのみ癒されるということ、また、環境や生い立ちがどんなに卑しくても、神様はそれぞれの人生に特別な計画を必ず用意してくださることを知っていました。

 

メトロ・ワールド・チャイルドの創設

ビル牧師は1980年に、当時ニューヨークで最も危険な地区と言われたブルックリンのブッシュウィックにメトロ・ワールド・チャイルド(以前の名はメトロ・ミニストリー)を設立しました。

その地区は、ギャングの抗争、犯罪、麻薬、貧困などがあることで広く知られていました。

ビル牧師がそこで活動を始めた頃には、殴られたり、ナイフで刺されたり、拳銃で撃たれることもありました。

しかし、彼は、そのような困難な状況にあっても、あきらめてその地区を去らずに、希望を持って留まることを決心しました。

彼は、日曜学校の活動と、子どもたちにイエス・キリストの希望を伝えることをあきらめずに続けました。

その結果、彼の活動は、ニューヨークの5つの行政区全部に広がり、更に、世界中の多くの場所にも広がっていきました。

今日、子どもたちを救い出すためのビル牧師の独特な方法や日曜学校プログラムは、研修コースやカリキュラムの開発を通して、今や世界中に広まって同じことが行われています。

彼は、ウェールズ大学から神学博士号を与えられ、彼のベストセラーとなった自叙伝「この子だれの子」をはじめとして数冊の本を出版しています。

また、教会での集まりや講演会、テレビ番組やラジオ放送などから、しばしば招待されて、広く世界中を飛び回っています。

 

ビル先生は、今は何してる?

ビル先生のメッセージ集」

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ビル・ウィルソンの略歴

1961年
12歳のとき、離婚した母親は貧しさに耐えきれず、ビルを路上に置き去りにした。事情のわからない彼は、路上で母親の帰りを待ち続けていた。
3日経った時、彼がずっと街角にいるのを心配したひとりの男性が、彼に声をかけた。そしてその男性は、お金を払ってそのまま彼を教会学校のキャンプへ連れて行ったのだった。
ビル・ウィルソンは、このキャンプの中でイエス・キリストを信じ、人生を神様に献げる決心をする。
教会の小部屋に住まわせてもらい、人々からのわずかな食料で生活しながら、学校に通い始めた。

1980年
アッセンブリーオブゴッド・サウスイースタン神学校を卒業する。
ビルはニューヨークのスラム街に移住し、極度の貧困、犯罪、麻薬、売春が横行する中で成長する、自分と同じような境遇の子どもたちのための教会学校を始めた。
教会で培った技術と、彼独自の創意工夫により教会学校への反響は大きく、すぐに多くの子どもたちが集まる働きとなり、メトロ・ミニストリーズを創設した。

1992年
ビルのスラム街での働きとその成果は、周囲の耳目を集め、政府機関にまで知られるようになった。
アメリカ合衆国元大統領ジョージ・ブッシュがその成果に注目し、ビル・ウィルソンを「アメリカの都市部の家族に関する委員会」のメンバーに任命する。

2003年
スラム街で子どもの訪問途中に2人組の強盗に襲われ、口の中で銃を発射される。
頬を撃ち抜かれる大けがを負うも、なんとか一命は取り留めた。
その後も子どもたちへの情熱と使命感は変わることなく、治療を受けながらすぐに活動を再開する。

2013年
世界中に働きが拡大する中で、さらに前進し、名前を聞いただけで活動内容が想像できるようにするため、「メトロ・ミニストリーズ」から「メトロ・ワールド・チャイルド」に名称を変更することを決断する。

現在
土・日曜日の教会学校のみならず、改造したトラックで行う「道端教会学校」や「訪問伝道」等の方法で、子どもたちにイエス・キリストの愛と希望を宣べ伝えている。
その働きは東南アジア・東欧・アフリカその他、全世界に拡がり、世界中の不況や政変などにより犠牲となっている子どもたちを救うため要望は増す一方である。