スタッフが見るスラム フィリピン(2021年10月)

数か月に渡ってこのシリーズをお届けしています。
今回は、ケニアとフィリピンについて、もう少しお話します。どうか、子どもたちのためにお祈りください。


《フィリピン》
「貧しい人に魚をあげるだけでなく、釣り方を教えよ」という言葉があります。これは素晴らしい考え方ですが、私はフィリピンで過ごすうちに、学んだことがあります。

それは、「貧しい人を養いたいのなら、魚を与えるな」ということです。

釣り方を教えるだけでは不十分なのです。どうして釣りをしなければならないのかを知る必要があります。

人には、目的が大切です。神様も、目的と目的を持つ必要性をもって人を創造しました。そして、人に本当の目的を与えることができるお方は、イエス様ただおひとりです。

ですから、メトロはスラム街の人々にまず福音を伝えなくてはいけません。彼らにお金を与えても、彼らの考え方自体が貧困を生む要因ならば、受け取ったお金をどう使うべきかが分からないのです。

まず初めに、心を変えてくださる神であるイエス様によって心を癒し、変えていただく必要があります。そうしてようやく、「釣り方を教え」られるのです。

ゴミ捨て場に隣接する貧困者用住宅。
このゴミの中からお金になりそうなものを1日中探して回るのが仕事という親も多い

福音を伝えた後で、人々に必要なものは食べ物です。生きていくことが最優先事項です。

飢えている子どもがいないことを願いますが、現実には、スラム街の多くの子どもたちは飢えています。多くの家庭で、子どもたちは1日に1食、または2食しか食べることができません。

私が知る限り、スラム街の子どものうち、きょうだいの中で年長の子の多くは、中学や高校を中退して両親の「働き」を助けようとします。下のきょうだいたちを食べさせていくためです。

繰り返しになりますが、これが、何世代にもわたって貧困が続いていく理由の1つです。

福音を届け、飢えをしのいだ後で、彼らに必要なことは、教育を受けさせることです。事実、彼らをスラムから脱却させる方法は教育しかありません。

教育を受けていなければ、まっとうな仕事に就くことはできませんし、仕事がなければ、彼らは最低賃金さえ稼ぐことができず、きちんと家賃を支払って家を借り、家族を養うこともできません。

メトロでは、教会学校のプログラムとスポンサー制度を通して、「福音」「食事」「教育」の3つを満たすことができるのです。

私たちは毎週の教会学校で子どもたちにイエス様のことを伝え、生きる目的を知らせます。そして、スポンサーの皆さんのご支援によって教会学校の後には子どもたちに食事を配給することができています。

現在はコロナウイルスの感染対策として子どもたちは外出できず、残念ながら多くの子どもたちを集めての教会学校は禁止されているため、家庭訪問やオンラインで集会などを行っています。

食料は、スタッフが各家庭に届けています。また、感謝なことに一部の子どもたちは、スポンサーの方々からの学習支援や奨学金支援によって、安心して学校に通うことができています。

メトロが関わる全ての子どもたちが、メトロの働きを通してスラムから脱却できると言いたいところですが、残念ながら現実は違います。

しかしそれでも、メトロが関わる100%の子どもたちが福音を聞き、救いの機会が与えられていることは確かです。そして、サポートを受けている子どもの多くは成長した後、家族を助けるための仕事に就くことができています。

外から見ると、大した影響には見えないかもしれません。しかし、家族が毎日食事をできるように支援を行っていることは、スラム街に暮らす家族にとっては、大きな意味を持っています。家族を養えるかどうかが、彼らにとって大きな問題だからです。

メトロ・フィリピンの教会学校(2019年の写真)