ビル師デボーション講座 ”危ない橋を渡ることもある そこが私の居場所だから”(2020年5月)

2020年5月 今月のデボーション

危ない橋を渡ることもある そこが私の居場所だから

ジョエル・アロンセンは心臓移植を必要としていましたが、手術費用もそれをまかなう保険もありませんでした。
しかし、彼には友人がいました…
綱渡りサーカス団「フライング・ワレンダ」の一員、スティーブ・ワレンダです。

ワレンダはジョエルに「僕は君の命を救うためにここにいるんだ」と告げ、アリゾナ州スコッツデールのテーマパーク「ローハイド」の駐車場にワイヤーを張りました。
そして、その高さ12メートルのワイヤーの上で「友人の手術費用を調達するため、僕はここで丸四日間過ごします」と宣言したのです。

ワレンダは誰にも相談しませんでした。
必要が迫っているのを知って、多少の危険を覚悟で大胆な行動に打って出たのです。
誰にも告げず、相談もせず、計画も立てず。
そこにあったのは、前例のない、人目を引く行動だけです。
この、何かのために危険を冒すことを英語で「out on a limb」と表現します。
「limb」とは木の大枝のことですから、その上で身を乗り出せば落下のリスクがあるというわけです。
ワレンダが友人のためにしたことはまさにその言い回し通りで、これほど当てはまる例はありません。

しかし私たちは、リスクを伴う行動を恐れたり敬遠したりする人(特にクリスチャン)によく出会うのではないでしょうか。
早急な対応が必要な場合でも、少しでも危険を感じると尻込みしてしまい、そして言うのです。
「大事なことだとは思いますが、教会の財政を大きく圧迫しかねません。やめておいた方がいいでしょう」。
そういう人たちはなぜか、危険を冒すことが「キリスト教的」ではないと思っているのです。
大間違いです!

有効かつ必要なリスクを取ることは、あなたや教会がなしうる最もキリスト教的な行為の一つです。
というのも、キリストは伝道活動において、多くの実を結ぶことを私たちに求めておられるからです。
木が実をつけるのは大枝からさらに先の部分であって、木の幹や地面の近くではありません。
安全な場所ではなく、幹から突き出て日光や風雨を受ける枝の先に実はなるのです。
では、豊かな実りを求めるあなたはどこにいればよいですか。
同じことです、大枝の先です!

木の大枝から身を伸ばしたあなたの居場所に、今、思いを馳せてみましょう。
あなたが本当に価値あることを行える場所です。
考えてもみてください、イエスはあなたのためにどこで死なれましたか。
イエスは、木の大枝の上で両手を伸ばして死なれたではないですか。
大枝の意味は、そこにあります。

「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、
実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」
―ヨハネの福音書 第15章1-2節―

心をこめて
創立者・主任牧師 ビル・ウィルソン

5月のWEB限定デボーション記事は、5月20日に掲載予定です。
ぜひご覧ください。