ケニアスタッフからのレポート②(2021年2月)

10日後、私は二つの家族の様子を見に行きました。

やけどを負った女の子の状態を確認し、それから隣家に行って、ジョイと名付けられた双子のもうひとりの女の子を抱っこして祈りました。

でも、そこで私は何か違和感を覚えました、胸騒ぎのような感覚を。そして翌日、電話があったのです。

「ジョイも死にました」と。

私はすぐに母親のもとへ行って、ジョイを抱いて共に泣き、祈りました。「みこころのままをなさってください。でも、どうか神様、この心の痛みを癒してください」と。

ケビンに、イエス様が亡くなった幼い弟と妹と共におられることや、命について語る機会を得られたのはよかったです。

また、ケビンの祖母との関係にとっても。彼女は私に対して敵意を抱いていたのです。

私が初めて訪問した翌日に男の子が亡くなり、次の訪問の翌日に女の子が亡くなったことで、何らかの霊的なものの仕業であるかのように感じたようです。

しかし神様が働いてくださり、私は事情を説明する機会を得て、誤解だったことがわかった彼女は、私に謝罪してくれました。


でも今回の出来事で何と言っても素晴らしいと思ったことは、やけどを負った女の子の兄のリンカーンが、メトロの支援を受けていなかったことです。

ケニアのメトロスタッフであるダニエラはちょうど、出身地のドイツの友人から、「切実に支援を求めている子を紹介してほしい」という問い合わせを受けていました。

リンカーンの家族の住まいは粗末な掘っ立て小屋で、室内と屋外の境もなく庭に物が転がっているような状態です。まさに要望にピッタリだと思ったダニエラは、友人にこの話をし、リンカーンはすぐにスポンサーの支援を受けられることになったのです。

「ケニア・クリティカル」は、まさにクリティカル―極めて重要なものです。

一日一日、ただ命をつなぐだけで必死の人々にとっては大きな助けですし、これは単なるプログラムではなく、生死を分ける働きなのです。

このような話は、私たちの働きの現場では日常茶飯事です。

明日の午前中もまた、私は葬儀に行きます。メトロで支援していた10歳の女の子が、日曜日に親と一緒に教会から出てきたところで、スピード違反の車にはねられて亡くなったという悲報を聞いたばかりです。

そしてお昼には、別の10歳の女の子に会いに行きます。その幼さにして、既に子どもを産んでいるのです。詳しいことは分かりません。

でも、ここでもケニア・クリティカルの働きは必要なのです。幼い女の子がレイプされたり、食べ物を買うお金のために自らを貶めたり、というケースもあるからです。

だから私たちは、そのような家族のために現場で働きを続けなければなりません。

命について、人生について語りかけ、希望を与えなければなりません。

そのような働きを実現させてくださる皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。

この活動に参加してくださっているスポンサーの皆さんのお陰で、本当に多くの家族が助けられているのです。ありがとうございます。