ビル師デボーション講座 ”今、起きて外へ出ます!”(2021年3月)

2021年3月 今月のデボーション

今、起きて外へ出ます!

「あなたの話し方も内容も気に入りました。真実だけを語っておられますから。でも、そのせいで気分を害する人がいるのをどうお考えですか」。

アメリカの教会で説教をした後、ある男性が私のところへ来てこう聞きました。


正直な話、私は教会によくいるタイプの人間ではないのはよくわかっています、話し方も、外見も。しかし、単に目新しい路線で語ろうというのではありません。

私は人々の目を覚ましたいと願っているのです。そういう姿勢のために時々、いえ、かなりの確率で、私は人々の機嫌を損ねることがあります。

そもそも、刺激的な音楽や、説教者の愛情深い言葉で「癒される」ことを求めて教会に来る人たちが多過ぎます。

誤解しないでください、そういった音楽も言葉も素晴らしいのです。

問題は、そういう人々が癒しを得ることで自己満足的な安心感に浸ってしまうことです。

教会で心慰められたので、慰めだけが教会に来る目的になってしまうわけです。このような感覚は間違っていますし、それ以上に危険です。

長いこと、いろいろな教会でメッセージを語ってきて、ぼんやりした信仰しか持てない人々を見ることにうんざりしています。

そういう人たちは、ただ教会の長椅子に座って「すべてうまく行きます」という、毎週もらえる一服を待っているのです。

でも、あいにく「すべてうまく行く」はずなどありません。

イエスのように世界を見れば、痛みと苦しみが見えてきます。イエスのように人々を見れば、その問題に対して何かせずにはいられないはずです!

私のその男性への答えはこうでした。

「寝ている人を目覚めさせるのは賢明ではないですね、どんな反応が返ってくるかわかりませんから」。

寝ぼけた信仰を持つ人は、起こされるのを嫌います。しかし、だからと言ってまどろんでいびきをかいている人を放っておくべきではありません。

気分を害するかもしれませんが、起こせば少なくとも何らかの動きはするでしょうから。

今、ご自分が信仰に目覚めているかどうか確認してみてください。癒しを求めていますか。クリスチャンゆえに対応を求められるつらい状況に背を向けたいと願っていますか。

そのような状況は身近にあるもので、特別なものではありません。あなたが目覚めていれば目に入ってくるはずのものです。

あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。
あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。
というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

―ローマ人への手紙13章11節―

心をこめて
創立者・主任牧師 ビル・ウィルソン