ケニア視察ツアーのご感想(2020年1月)

先月号に続き、髙嶋様からのご感想をお届けします。

日曜学校
メトロ・ケニアの日曜学校は、他の国のメトロの日曜学校とは少し違います。
小学校の授業の一環として取り入れられているため、メトロのスタッフが小学校を1日に何校も回って行っています。
どこの小学校に行っても感じたことは、子どもたちが静かに話を聞く習慣が身についていることでした。
たとえば、5000人の子どもたちが校庭に集まった小学校がありました。
昨今の日本では大騒ぎになります。

でもケニアでは、誰一人おしゃべりをしません。
それはどこの学校でも見られました。
子どもは大抵、午後や戸外に出ると集中力が落ちて騒々しくなりますが、ケニアの子どもたちは午後の暑く照りつけている、しかも一番眠くなりやすい時間に行われた日曜学校でのお話も静かによく聞いていたのです。
驚くべき集中力でした。

でも、それだけではありません。
彼らにはその話をどうしても聞きたいという気持ちがありましたし、聞かなくてはいけないという必要に迫られている印象も受けました。
みんな制服を着ているのですが、よく見ると穴だらけで、靴もカバンもまともなものを持っている子は誰もいませんでした。
また、メトロは給食支援もしているのですが、その給食も全校生徒の3分の2しか食べられないという現実も目の当たりにしました。
そして、その給食はその子達にとって一日の唯一のご馳走なのです。
こうしたことから、学校に通っているからと言って、ある程度裕福であるというわけではないことがわかり、その貧しい生活の中に生きている子どもたちだからこそ、自分たちには福音が必要だとわかっていることが伝わってきました。
また、ある学校では、日曜学校をはじめると、学校の塀の上に子どもたちが数名登っていました。
「早く降りておいでよ、聖書のお話しがはじまるよ」と私が声をかけると、「僕たちはこの学校の生徒じゃない。学校に行けないから、ここでいつもメトロの日曜学校をこっそり覗いてるんだ。」と話してくれました。
学校に行きたくても行けない子がたくさんいることは承知の上でしたが、その子たちが塀の上に登ってまで福音を聞こうとしている姿に、私は心が打たれました。
必要なのです。
そして彼らは知っているのです。福音が自分たちにとってどれだけ大切なものであるのかということを。私の魂にも、もっと飢え渇きが起こり、彼らが日頃見ている主の業を体験できるようにと祈りました。
「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。(イザヤ40:8)」

スラム街
ケニアは人口約5000万人、そのうちプロテスタントが40%、カトリックが30%のキリスト教国です。
そして失業率が60%という厳しい状況ゆえに、アフリカ大陸一のスラム街を持ち、地域によっては電気が通っていないどころか、水道やガスなどもなく、多くの家は床がないので、土のままという経済的に非常に貧しい国でした。

ある地域では、トイレのないことが人々の健康状態をいっそう悪くしています。周りは広い野原ですから、どこででも用を足します。
雨が降るとそれが流されて水場に集まります。
その水を家庭用水に使うのですから、健康でいられるわけがありません。
下痢が悪化して死ぬこともあります。
「アフリカでは命が安い」と言う人がいました。簡単に人が亡くなるからです。
「命は神様のものだから、いつ終わりにするかは神様が決めることだよ」と言って、死を受け入れ、「人間にはどうすることもできないことだ」とつぶやかれた方の背景に、死が常に身近であることを感じました。

また、私たちはスラム街に住む一軒のお宅を訪問しました。
日本人が里親支援をしているご家庭に伺ったのです。
中は真っ暗で小さな土間のような空間があり、そこに家族五人で暮らしているとのこと。
里子の女の子は「将来は医者になりたい」と恥ずかしそうに夢を語ってくれました。
そのご家族に万代牧師が祝福の祈りを捧げた後、一人ずつ握手をして短いけれど豊かな時を過ごすことができました。

帰り道、そのスラム街では路地にしゃがみこんで論議をしている男性陣をよく見かけました。
その中の一人は、酔っ払って激しい動作を繰り返していました。
聞くところによると、その方の奥さんはいつも殴られ、蹴られ、罵倒されて、無職の旦那さんから自分の働いたお金を取り上げられているそうです。
その奥さんはこう言ったそうです。
「私は簡単に別れたりはしないよ。これからもあの人とやっていくよ。優しいところもあるんだよ、たまにだけどね。私はあの人のそういうところを掘り出すのさ」
…生活だけでも苦しいはずです。
それなのにそんなことが言えるなんて現場を目の当たりにした私には、きれいごとではすまされない、と苦しくなりました。
同時に、諦めずにほんの少しの可能性にかけて生きている姿勢に感動しました。
いつも死が身近である人々の暮らしの中には、屈強な何かが育まれていることを感じ、豊かな日本で生きる私がここから学ぶことは、まだまだありそうです。

「あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。(ヤコブ1:3)」


髙嶋様のご感想は、来月号に続きます。
お楽しみに!