空腹の苦しみをなくすために(2020年3月)

あなたの思いやりが 命を救っています

子どもが集中力散漫になる要因のうち、もっとも影響が大きく、かつ一刻を争う問題が「空腹」です。
ニューヨークでもケニアでも、フィリピンから南アフリカにかけても、さらにその先でも、メトロが日曜学校を開催する場所では同じ問題を抱えています。

何日も食事をしていない子どもが集中できるのは激しい空腹感だけです。
そこまで空腹に苦しんでいると、神の愛を伝えるメッセージは聞けません。
聞く前にまず、神の愛を見ないことには始まらないのです。
あなたのような思いやりのある友のお陰で、子どもたちは実際に神の愛を見ています。

メトロが日曜学校と給食支援を行っているケニアの小学校6年生にエリナという女の子がいて、毎日給食が食べられるのもスポンサーのお陰だと知っており、とても感謝しています。
しかしある日、エリナは同じクラスのピリという男の子が、給食もなく、何か買うお金もないことに気づき、非常に心を痛めました。
そして決めたのです。
「私は朝も多少は何か食べて来られるし、夜も家で食べられる。だから、何も食べられないピリに毎日給食を食べさせてあげよう」と。
それ以来、ピリは学校で昼食を食べられるようになりました…少しだけ。
残りは持ち帰って家族で分け合っています。

神の慈愛。
それはメトロのスポンサーの優しさを通じて広がり、ケニアの小さな女の子の犠牲を伴う心によって、さらに多くの命に触れるまでに拡大し続けています!

このように、あなたが空腹の苦しみから解放してあげた子どもがいます。
しかし、まだまだ多くの子どもたちに救いの手が必要です。認めたくない現実がそこにはあるからです。
というのも、飢えに苦しむ子どもたちには、栄養失調により、命取りになる病気にかかりやすいというリスクと同時に、その弱みにつけ込んで子どもを利用する大人たちの標的になる危険があります。
人身売買や小児性愛者、麻薬の売人、過激派などです。
食べ物や仲間、時には給与支払いなど、偽りの安心感の前に、子どもたちはあまりに無力な存在です。我々はこの子たちにイエスを伝えるために、その前に食べ物を与えるために、手を差し伸べなければなりません。

お腹を空かせた子どもにいきなり神の愛は教えられません。
まずは、その苦しみを和らげることで神の愛を見せることが先決です。

 

ニューヨークでは:
何日も食事ができずに、泣きながらバスから降りてくる子どもたちを見てきました。
空腹のために日曜学校の途中で意識を失う子もいます。
この子たちは、決して特別な存在ではありません。
統計によれば、私たちが活動している地域の子ども4人のうち1人が飢餓の危険にさらされています。
思いやりあふれるスポンサーや支援者の皆様のお陰で、メトロでは日曜学校の際に空腹の子どもたちに食事を与えることができています。
また、深刻な空腹状態にある子どもとその家族には、時にはスタッフが段ボールいっぱいの食料品を持って行くこともあります。

ケニアでは:
空腹は、あどけない子どもたちを蝕む慢性的で絶え間ない苦しみです。
親友やきょうだいの誰かが空腹で亡くなった後に子どもたちが覚える絶望感を想像してみてください。
この残酷な現実は、子どもたちを食べ物のみならず、希望にも飢える状態に陥らせるものです。
ですからメトロでは、日曜学校の際に一人でも多くの子どもに食べ物を与えられるよう努めています。
その食事が、その日唯一の食事だという子もいるのです。
そして子どもたちは、命をつなぐために苦し紛れの行動に出ます。
食べ物を盗んだり、食べ物を買うために貴重品を盗んだり、あるいは単純に物乞いをしたり。
最近では、石弓のような道具を学校に持ってきた男の子たちがいて、先生に叱られましたが、校長先生が確認したところ、それは学校帰りに鳥を撃って家族で食べようと思ってのことでした。

フィリピンでは:
何百もの家族が間に合わせの粗末な小屋に住む巨大なゴミ捨て場でも、メトロは日曜学校を開催しています。
そこでは子どもたちが、食べ物を買うために何か売れるものがないかとゴミの山を掘り返しています。
このような状況にある母親が、絶望のあまり、幼い娘をあなたに差し出して涙ながらに嘆願したらどうでしょう。
「この子を連れて帰って育ててくれませんか。お願いします。私にはこの子に食べさせることもできないので」。
あなたの心は張り裂けそうになり「何かしなければ」と思われることでしょう。

 

フィリピン給食支援の記事こちら

1口10,000円のご支援で、フィリピンの50人の子どもたちに
1日分の食事を提供できます。
詳しい内容は、記事をご覧ください。