ビル師デボーション講座 ”闇夜にあっても 朝は必ず来る”(2020年9月WEB限定記事)

2020年9月 今月のデボーション WEB限定記事

闇夜にあっても 朝は必ず来る

 その夜も私は遠い町のとあるホテルにいました。長旅も数週間が過ぎて、どこへ行ってもすべてが同じ場所であるかのような錯覚を起こすようになっていました。日常的に旅を続けているとこんな感覚になるのです。時に私は、昨日までどこにいたか、明日はどこに行くのか、わからなくなることがあります。予定した会場に着いたら自分がするべきことを行うだけ。そしてまた、同じようにホテルの部屋に戻って夜を過ごす。本音を言いましょう、こんな夜を過ごすのは結構きついものです。

 あなたにも、私のようにすぐに眠りにつけない夜があるのではないでしょうか。身の周りでトラブルや混乱が起きている時など、私は寝ようとすらしません。それがどこであれ、窓辺に佇んでその町の灯りを眺めて…ただ夜明けを待つのです。すると、実感します。何が起きようと朝はやって来る、と。時には、それがすべてである気がします。

 そう、おそらくそれだけでよいのです。私たちは誰もが人生の暗黒の時期を体験します。 残念なことに、その中にいる間は出口が見えません。「昼間」と呼ばれる世界があるとは想像もできません。しかし実際には、あなたの人生には暗黒の日々があるのと同様、待望すべき光り輝く日々もあるのです。あなたはただ、それを信じて待っていればよいのです。

 イエスは言われました、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」これこそ、私たちが待ち望む光です。

 再び、孤独な夜がやって来たり、人々から石を投げられるような時には、思い出してください。どんなに暗い夜でも朝は来る、と。朝は必ず来ることに決まっているからです。 世の光を忘れずにいられれば、待つ時間はそれほど長くはありません。

 今、この瞬間も、地球上のどこかで太陽が昇っています。もし今があなたの暗黒の日々であるなら、また、もし夜の闇があなたの心を支配するなら、昇る太陽(rising sun)を見て、あなたの人生の光りである復活の御子(Risen Son)を思い起こしましょう。

「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」 ヨハネの福音書第1章4節

心をこめて
ビル・ウィルソン