ビル師デボーション講座 ”今日、もう少し熱く祈ってみる”(2020年3月 WEB限定記事)

 

2020年2月 今月のデボーション WEB限定記事

今日、もう少し熱く祈ってみる

 

イエスは苦しみと悲しみの中で必死に祈りました。
弟子たちに「目を覚ましていなさい」「祈りなさい」と告げた後、ゲツセマネの園の中を少し進んで行き、一人きりになってからひれ伏して祈ったのです。
イエスにはわかっていました…その行為は孤独のうちに行わなければならない、と。
その夜、苦しみ悶えながら天の父への訴えに全力を注いだイエスの身体からは、その祈りの激しさゆえに汗がしたたり、やがてその汗は血のしずくのように地に落ちました。

「『血のしずく』は単なる比喩であり、その夜の様子を象徴的に描写しただけだ」と言う評論家たちがいます。しかし、彼らがそれ以上の説明をするのは聞いたことはありません。

その人たちは大事なことを忘れています。
熱心に祈った結果汗をかいた、仮にそれだけのことだったとしても、どうでしょう。
私は問いたいのです。
「では、あなたが最後に汗をかくほど祈ったのはいつですか」と。
完全な祈りとはそういうものです。
自身のすべてを注ぎ出す祈りとはそういうものです。
熱い祈りとはそういうものです。

そう、イエスはほかの人より少し先まで進みました。
しかし、それだけではありませんでした。忘れないでください。
もしあなたがもう少し先までたどり着いたとしても、それだけでは駄目なのです。
ゲツセマネでのイエスのように、さらに熱心に祈る必要があります。
考えてみましょう。
イエスが祈らなければならなかったのなら、あなただって同じではないですか。
祈らなくても何とかなると思うのですか。
イエスに不可能だったことが、あなたに可能なはずがありません!
イエスが熱く祈るべきだった場面では、あなたも私もさらに激しく祈らなければならないのです。

聖書には、断食と祈りによって私たちは苦境を乗り越えられると書かれています。
なのに、なぜ素直に実行できないのでしょうか。
もしかすると、苦境にある時は、なすすべがないと感じてさらに自分を追い込んでしまうのかもしれません。
違うのです。
苦境の中でこそできることがあるのです!
他の人たちから離れて少し先まで進んだら、今度は普段より少し熱く祈ってみてください。

「そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。『父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。』すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」
ルカの福音書第22章41-44節

心をこめてビル・ウィルソン